インタビュー

働きながらも「ライフワーク」を温め少しずつ進めていこう はたママインタビューProfile #012 青木麻美

はたママインタビュー12回目は、はたママライターチームのメンバー青木麻美さん。

在星15年目となる麻美さんは、シンガポールで女性に絶大な人気を誇るフリーペーパー【Parti】の編集長。多忙な日々を過ごしながら、さらには双子男子を育てるママ。
柔らかいほんわかした雰囲気もありつつ、その中には揺るぎない芯の強さを感じる麻美さん。
「書く」ことにどんな想いを持っているのか、仕事以外に大切にしていることは何かなど、いつもはインタビューする側のプロである麻美さんの事をもっと知りたいと思い、お話を伺ってみました。

双子育児&編集のオシゴトで忙殺の日々
それでも「ライフワーク」をゆっくり進行中

 

母の読み聞かせ、恩師の励ましに導かれ、「書く」という仕事に没頭

「書く」ことが好きになったのは思い起こせば小学生の頃。「文章に対するリズム」そのものが好きでした。母が小学校卒業まで毎晩、一日たりとも休まずに絵本を読んでくれたこと、小学5年生の時の担任の先生が国語に強く、私の書いた日記をとても褒めてくれたこと。その2つが「書く」ことに夢中になるきっかけを与えてくれたと思います。

教育学部国文科を卒業後、とにかく「書く」仕事に就きたいと出版社を目指したものの、当時は就職難の時期で、箸にも棒にもかかりませんでした。人づてでご縁のあった編集プロダクションになんとか就職。

そこでは、まさに修行の日々でしたね。主に某不動産会社の月刊会員誌に携わり、いろいろな街の特集ページを製作しました。アポ取り・ロケ・取材・ライティング・編集と全てを1人でこなし、そこで雑誌を作る基礎を徹底的に叩き込まれました。

他の仕事もありましたが、「この街に住みたい」という特集が一番好きだったのは、街で働く方々を取材することがすごく好きだったからだと思います。

街角のパン屋さん、小さな玩具屋さん、一国一城を築いた店主たちは必ず自分の仕事に誇りを持っているもの。最初はツンケンしていても、一生懸命こちらが話を聞きたいと願って質問を投げかけると次第に心を開き、やがて珠玉のストーリーを語ってくれたりして。納得するものを作り上げるために、残業だろうと徹夜だろうと厭わず夢中になって働いていましたね。

そして就職して2年、夫と結婚。シンガポールへ行くことに。
仕事が面白い時期でもありましたが、父親がシンガポールに駐在していたので全く知らない土地ではなかったし、ついていくことに迷いはありませんでした。

シンガポールにもフリーペーパーがたくさんあることも知っていたので、自分が働ける場はきっとあるはず、キャリアが中断するわけではない、と前向きな気持ちで渡星しました。絵にかいたような激務の編集プロダクションで、雑誌を作るために必要なプロセスを一通り学べた後に、フリーランスになれたからタイミング的にはよかったのかな。

 

シンガポールへ移住。やっぱり書くことを続けたい

シンガポールに来て、これまで日本でずっと忙しい生活を送っていたのでちょっとゆっくりしようかな、と思ってはいたのですが、子どももいなかったですし専業主婦は来星1か月で辛くなり…、すぐに仕事を探しました(笑)旦那さんはどんどん新しい世界で頑張っているのに、私は毎日何をやっているんだろう、と落ち込んでしまって。

ちょうど、前職と同じ編集ライターの募集を見つけてすぐに応募し、現在の【Parti】に就職。経験を積むうちに、自分で決められることが増えてきて、雑誌のコンセプトや雰囲気などをより明確にしたモノづくりができるようになり、やりがいを感じました。編集長不在の時期もあった中で、入社して9年目頃に、社長の心意気(だと私は思ってます)により、編集長に任命。なったからにはチームをまとめていかなくてはという責任感が生まれ、もっと頑張らなきゃなと気持ちを新たにしました。

 

双子の出産。母の全面サポートで仕事復帰

入社10年目で妊娠、悪阻がかなり辛くて…当時の社長がとても気にかけてくださり、仕事を早めに休ませてもらいました。妊娠6か月の時に日本へ戻り、双子を出産。早産で生まれてしまったので、半年間は病院で定期検診を受け、母にサポートしてもらいながら日本で8か月まで育てて、シンガポールに戻りました。

夫も育児に協力的でしたが、土日に仕事があることも多くて。1人で双子育児を頑張ってみたのですが、戻って1か月後のある日、なんと皿の上のヤモリが…。その瞬間、気を張っていた気持ちがプツン…。一気に崩れ落ち、母に泣きながら電話。すぐに駆けつけてくれた母に結局4か月サポートしてもらいました。私、母が大好きなんです。今でも困ったり悩んだりしたらすぐに電話しています。

休み中に編集長代理をしてくれていた優秀なライターさんがスライドになってしまったのもあり、休み中も家でできる範囲で徐々に仕事を再開しました。理解のあるクライアントさんに家に来てもらって取材したことも。職場や周りの方々にたくさん迷惑をかけましたが、温かく見守ってくださって本当に感謝しかありません。

 

母が帰国後、1か月はベビーシッター、その後住み込みのヘルパーさんを雇って生活リズムを作り、双子が1歳2か月頃に正式に職場に復帰しました。
ママとなって働くことで、ママの目線が加わり仕事のふり幅が広がり、視野も広がり、プラスの面もある反面、やはり休みがちだったり、夜の会にあまり出られなくなったりしたことで、これまでツーカーでやってきたものが、まわらなくなってしまうこともあり…。チーム作りをする要の自分が役不足だなと感じました。

私、本当に『書くこと、作ること』が好きなんですが、特にいろんな人のアイデアとかを聞きながらみんなで作ることが特に好きで、だから【Parti】が好きなんです。そのためにチーム作りはとても重要な点なのですが、メンバーが入れ替わる度に日々試行錯誤ですね。在宅のライターさんもいるので、「ライター会」をあえて開催して顔を合わせる場を作るなどして、チームとしてより結束力が強まるようなコミュニケーションの仕方など工夫しています。

【parti】の今後としては、紙媒体と並行して、WebやSNSも活用した発信方法をみんなで模索中です。Webのページビューもあがってきているので、私自身もWebでの情報発信を日々学んでいるところです。

例えば、JTBさんとタイアップでビンタン島のホテル体験記をWeb限定で配信したり。Web用にデザインや写真配置などを考えることは、紙媒体に慣れている私としては新たなチャレンジでした。とくに文字数! Webは長ったらしい文章は読んでもらえないため、旅情の込め方が難しくて…。紙愛ハンパない私ですが、これからもいろんな発信力を身に付けていきたいです。JTB×Parti 編集部 体験レポートWebページ 

突然目の前が真っ暗…。働き方を見直すきっかけに。

ヘルパーさんの助けを借りながらも悪戦苦闘の毎日。毎月締切がある仕事なので逼迫感もあり、双子を寝かしてからまた仕事をすることがよくありました。仕事量が戻り、出産前と同じようなペースで働いていた、復帰後1年ぐらいの時、めまいがひどいなぁと感じていたら、突然目の前がブラックアウトしてしまったんです。まるで停電してしまったかのように、本当に突然目が開かなくなって。

西洋医学では原因は特定できず、中医に通い原因を追究したところ、過労による「自律神経失調症」だろうと先生に言われました。カッピングをしてもらったら背中が真っ黒(笑)タクシーに乗っても気持ち悪くて横になっていたり、その後1年ぐらいはずっと調子が悪かった。産後の揺らぎみたいなものもあったのかな。出産後も同じようなペースで働いていて、体が悲鳴をあげたのかもしれません。

-このままの働き方じゃダメだ-。

身体からのサインをもらい、自分の体も大事にバランスをとって仕事をしていかなければ、と自分自身の考え方をシフトしました。会社には迷惑をかけてばかりで申し訳ないという気持ちもあるのですが、少し仕事量を減らしてもらい、毎月校了後の1週間は仕事を休んで疲れをリセットすることに決めました。「いつ仕事を受けても、すぐにお返事するのがライターだ」というのが私の信条で、常に気を張っていたのですが、その1週間は仕事からあえて離れるように意識的に変えました。

その後も、やはりやりすぎると、同じ症状が出るので、前兆に気づいたら少しセーブしたり、血流を上げるビタミン剤を取り入れたりして、体とうまく付き合いながら過ごしています。
双子男子の母としても、神経質に子育てをすると自分が倒れてしまう、と気付いてからは、できるだけなんでも笑い飛ばし、楽観的にやるようにしています(笑)双子がケンカしていても止めないし、怒らない。叱るのは、絵本を破ったとき、ご飯を粗末したときだけと決めています。

スマホの中でこっそり「夢の種」を育てる日々

もう一つ、雑誌の編集という仕事の他に、私が続けていることがあります。それは、児童文学やルポルタージュといった個人の作品を書くことです。ずっとその2足のわらじを履いてきました。それが自分として生涯かけてやりたいこと、まさに私の「ライフワーク」です。妊娠する前には、長期休みをもらい、カンボジアに取材に行きルポルタージュを書き、出版もしました。

その後も、子ども向けに絵本を書きたいという思いを密かに温めていたのですが、出産、育児に追われ、やれない時期がありました。過労で倒れたこともあり、仕事と育児で手一杯で、「しばらくやらなくていい」と1年はやらないと自分の中で決めた時期がありました。やれてないと自分で思うのが苦しくて。

それが、一昨年12月にまた急に「やっぱりやりたい!」という気持ちがむくむくと湧いてきて、さらに、やるならこの方とやりたいと、ポン!と浮かんで、すぐにある方に電話しちゃったんです。私の座右の銘が「思い立ったら吉日」なので(笑)

電話の相手は、マレーシアの森に棲む動物や植物をずっと描いてこられた画家の山田さなえさん。とても素敵な絵を描かれる方で、友達の友達で、ずっと前から気になっていた方。絵本を作るなら絶対この方と一緒に作りたいと心のどこかで決めていたのでしょうね。

あまり話したことがなかったのに、いきなり電話して「クアラルンプールに行っていいですか?」そして、本当にクアラルンプールのおうちにおしかけて、ずっと頭の中で構想を練ってきた絵本製作の企画話を伝えて「一緒にやりませんか?」とお誘いしてしまいました。

絵本のタネは、双子を育てる中でいくつか持っていて、でも絵が描けないから形になることなく、ずっとスマホの中にあったんです。まさに今回の作品は、夜中に双子が交互に起きて、寝てくれず、徹夜で抱っこしてゆらゆらしていた時に浮かんできたもの。
絵本のタイトルは「そーっと そっと」。
その言葉の奥にはそういう切実な思いが込められているという裏話です(笑)

 

 

お母さんが絵本を読みながら「そーっと そっと」と何度も優しく言ってくれたら、安心して寝るかな。そういうねんねの絵本になったらいいなという思いを込めています。
当初は出版してくれるあてもない状態で、言葉と絵をそれぞれ作り始めました。そして、動き出してから約10か月後、昨年9月末頃に、その画家さんがご縁を繋いでくださったマレーシアの出版社から絵本を出版してもらえることが決定しました!

そこからは急展開で製作を進めて、10月にモックアップ版を「フランクフルトブックフェア」に並べてもらいました。2020年2月に刊行予定で絶賛準備中。出来上がったモックアップ版を双子に見せた時、喜ぶ2人の顔を見て、実現して本当によかったと嬉しさが込み上げました。双子たちが自分で読める年齢に、形になって出版されるのは導きなのかな。

幼い頃に、夜な夜な母の優しい声で刻まれた言葉のリズムたち。それが今でも私の耳の奥で響き続けていて、その言葉を紡ぐ作業が自分にとって一番幸せな時間。それが本になったら最高だけど、もしスマホの中に埋もれてしまったとしても、言葉が溢れている感覚を味わうこと、それが私にとって本当の意味での「ライフワーク」だと思っています。

はたママ読者へのメッセージ。ぜひ自分のライフワークを見つけて欲しい

シンガポールは、チャイルドケアや住み込みヘルパーさんなど利用しやすい環境ですし、日本よりもフレキシブルな働き方をする企業も多く、働いている女性も多いので、女性にとっては働きやすい国だと感じます。

幼稚園も低年齢から預けられるので、ぜひ、無理せずそれらを使ってみるとよいと思います。また、『はたママ』のようなコミュニティに関わることで、バイタリティがある人などと知り合うことができ、プラスになることが多いと思います。

人脈そのものが増えて、新しいことに繋がることもあるかもしれません。私も、はたママ繋がりで知り合った方とお仕事をご一緒するなどご縁をいただいています(笑)

【parti】を作るなかで、シンガポールに暮らす日本人女性のみなさんの声を耳にする機会も多く、「ライフワーク」そのものを見つけることに悩んでいるというお話もよく聞きます。期間限定の海外暮らしで人生の迷子になり、周りと自分を比較してしまったり。そういう心の声に寄り添う記事を作っていきたい、日々そう思っています。

そしてもし素敵なライフワークが見つかったら、仕事のため、誰かのために諦めるのではなく、細々とでも続けられるようエールを送りたい。今、自分の好きなことを諦めず見つけておくことで、きっと自分の未来が変わりますよね。月刊誌を作っていても、双子がいても、「ライフワーク」を現在進行形にすることはできますから!

Profile
青木 麻美 (あおき あさみ)
在星歴15年。日本で編集プロダクション勤務後、2005年よりシンガポールでフリーランスの編集ライターとして活躍。現在は、フリーペーパー【Parti】編集長として女性目線、ママ目線で様々なシンガポール情報を発信。(帯同ビザ)
家族構成:夫、息子2人(4歳双子)、犬
好きな場所、好きなもの:フィンランド、お皿
好きな言葉:思い立ったが吉日
一日の過ごし方:7:00起床➡8:20 園バス(お見送り)➡家事➡8:55 NHK5分体操➡9:00 仕事➡17:00家事➡18:00園バス(お迎え)➡育児➡20:00 子どもが寝たあと仕事➡21:30 ひとり時間➡23:00 就寝
出版本:
2008年「トコトワ」山内麻美著・未知谷
2011年「バッタンバンのタッカシー —カンボジア支援に捧げた堀本崇の生涯―」山内麻美著・未知谷
2020年「そーっと そっと」出版予定

Interview, Photo and Written by: Nao Fujita
Cooperated by :Masayo Hada

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