インタビュー

シンガポールのストーリーを伝えたい ~現地採用・国際結婚・第二の故郷で本当にやりたい事をみつけるまで~ はたママ・インタビュー Profile#011: 中澤めぐみ

はたママインタビュー11回目は、シンガポール情報を発信している中澤めぐみさん。

シンガポールに住む多くの日本人に読まれているのが、彼女のブログ「Singapore Style ~もっと知りたいシンガポール通信~」。ブログを読んでシンガポール生活がぐっと面白くなった、という声多数。トピックは、ローカルフードから、文化、歴史、政治、社会の動きまで幅広く、シンガポールへのあたたかい目線で語られています。

また、シンガポールを体験する様々なイベントを企画、開催されており、シンガポール好きが集まるコミュニティが彼女を中心に広がっています。

めぐみさんの中に溢れるシンガポール愛はどのように生まれ、どう進化してきたのか、彼女のストーリーを伺ってみました。

自由を求めた20代。サラリーマンなんてやってられない!

体育大学を卒業し、半導体、電子部品関連のメーカーで4年間働いたのですが、自分は会社勤めに合わないとずっと感じていました。どこか無理をしている自分があり、周囲に合わせるのも苦痛、自由に好きなことをしたい思いが強かったんです。会社勤めは30代の自分だったら難なくこなせても、20代の自分にはきつかった。

現実から逃げるように26歳で仕事を辞め、ひとりで1年半の世界一周バックパッカー旅行に出かけました。中東と南米をそれぞれ半年ほど旅行し、アフリカにも行きました。旅行中にいろんなことを考えましたし、模索の旅でした。

チャンスを探し、応えてくれたのはシンガポールだった。

日本に戻って、派遣として電子部品の商社で営業職に携わりました。海外工場とのやりとりや海外のお客様を担当し、徐々に仕事が楽しくなりました。そこで正社員として責任ある仕事に就きたいと希望したのですが、再就職活動にどの会社からも全く反応なし。30歳という年齢がネックになっていると感じましたし、働きたいと願う女性にチャンスがない現実を目の当たりにしました。

漠然と海外就職の道を探る中、シンガポールの日系人材紹介会社が東京で開いたセミナーに足を運びました。そこで驚きました。少し話をしただけで、紹介いただける会社がいくつも出てきたんです。その場で決まりそうな勢いの会社もあったほど。結局、数社から内定を頂き、とんとん拍子に決まりました。日本とシンガポールの温度差を肌で感じましたし、求められる場所がある、私の次の道はここだ、と思いました。

今は状況が随分違いますが、2003年ごろのシンガポール政府は外国人を積極的に受け入れ、雇用ビザもすぐに発給されました。日系企業に勢いがあり、英語が話せる日本人現地採用は欲しくて仕方ない、という状況でした。

他の国も考えましたが、距離が近いアジアで、英語が主要言語、生活や給与水準が日本に近い、という多くの条件を満たすシンガポールが一番現実的な選択でした。

どうシンガポールで住んでいくか、考え続けている。

華やかなイメージの海外生活ですが、現実は違うものでした。半導体メーカーの仕事で、東南アジア圏の出張が多く、それがつらくて。距離が近いので日帰り出張が多く、いつもスケジュールきちきちの体力勝負。たまった通常業務で帰ってからも大変。でも、両親の反対を押し切って自分が選んだ道なので、逃げ出して日本に帰る選択肢はありません。シンガポール生活を楽しむ余裕もなく、必死でふんばりました。

営業で奮闘していた独身時代。今でも連絡をとりあう職場の人たちと

 

そんな中、来星以前から知り合いだったシンガポーリアンと3年後に結婚することになりました。どうやってシンガポールに住んでいくのか、結婚してからずっと考え続けています。そして、シンガポールを好きになっていったのは、この頃だったと思います。

夫は政府系の仕事をしており、日々の会話で出てくるシンガポールの話がとても面白いんです。どうやって国を作っていくかというアイディアが、数か月後には首相や大臣の口から発表され、あっというまに現実になっている。そんな政治との距離の近さ、動きの速さを目の前の夫を通して知り、興味を持つようになりました。

その一方で、生活の違いに慣れるのはとても時間がかかりました。

夫は中華系シンガポーリアンで、5人兄弟の大家族。中国文化を強く受け継いでおり、毎週末、家族そろって食事をします。彼らが話す中国語が理解できず、いつもアウェー感。言葉がわからないのは適度な距離を保てる良い面もある、と今ではわかるのですが、最初の1,2年はすごくつらかった。彼らは常に扉を開けておいてくれたのに、拒否反応のせいで入っていけない自分がいた。その時の葛藤は今の自分の活動に間違いなくつながっています。

子育てでのチャレンジと、やりたい事探し。

時間と共に家族との距離が縮まり、2009年に娘が生まれて絆が深くなったと感じます。妊娠して仕事を辞め、今にいたるまで会社勤めはしていません。

妊娠中に、娘の骨に異常があるのが見つかりました。骨の成長に問題があり、他の子よりも体が小さいのです。珍しい病気でわからないことが多く、毎日心配で悩んでばかり、自分を責め、3歳ごろまでつらい時期が続きました。現実をうまく受け止められず、消化できない思いを抱え、「小さいね」という何気ない一言に傷つき、外出するのが嫌で引きこもりがちになりました。

その後、病気の理解が進み、日常生活に問題ないことがわかってきました。ネガティブになっても仕方ないと腹をくくり、考え方が変わってきました。今私が大切にしているのは、無条件の愛を与えること、子供の自主性を大事にすること、成績の良し悪しにかかわらず子供の存在そのものを認めること、です。

娘への悩みが消えていくと同時に、自分の悩みが出てきました。これからどうしよう、と。何かをしたい、でも会社で働きたいわけではない。そこで、まずはその時々で興味のあることをいろいろやってみていました。

人とつながりたい、という本来の自分の性格が戻り、シンガポールに住む日本人が利用するウエブでサークル募集をかけました。自分が住むエリアをターゲットに、「ご近所の会」を立ち上げてみたのです。そこで出会った友達は今でも交友が続くほど仲良くなりました。

また、その時期に流行っていたオンラインプラットホームを使い、海外買付バイヤーのようなこともやりました。時流に乗ったせいか、ひとりで空き時間にやっていたにも関わらず、そこそこ利益が出ました。が、為替が円安傾向になると割が合わなくなり、自然にやめました。

衝撃のボランティア・ アーミー体験

シンガポール情報発信を始める最大のきっかけとなったのが、2015年から始めたボランティア・アーミーの経験です。たまたま募集を見て好奇心から応募した活動ですが、参加すると全く違う世界がそこにあり、衝撃を受けました。

シンガポールは徴兵制があり、国民、永住権保持者の男性は18歳になると2年間の兵役義務があります。女性は兵役対象外ですが、ボランティアで兵役体験をするプログラムがあり、軍の精神を学び、体力トレーニングを受け、軍の活動をサポートします。

私がそこで触れたのは、シンガポールの軸となるもの。国が大切にしていること、愛国心の源流です。シンガポールを、頭だけでなく体全体で理解する感覚、点と点だった知識や経験が中心につながったった感覚がありました。そして今まで、自分は何も知らなかったのだと気づかされました。

これを自分の中だけにとどめておけない、誰かに伝えたいという思いが高まり、情報発信へとつながっていきました。

アーミー体験が衝撃だったためか、私の中で大きな反動が起きる経験もしました。潜在意識に隠れていた闇が開いたというか。心の奥にあった感情を探り、次のステップに向かう前に自分と向き合う時間をしっかり過ごしました。

2017年、兵役50周年イベントにて

自分軸でシンガポールのストーリーを伝えていきたい

現在はブログとFacebookを中心にシンガポール情報を発信し、イベント活動をしています。ブログは2014年から書いていましたが、当初はモチベーションが続かず不定期だったり数か月休んだり。その頃は信念がなく、どうやったら読まれるかばかり考えていました。他人軸だったんです。イベント活動も同じ様な感じでしたが、すべて今の活動の前身であり、一貫性はなかったけれど、試行錯誤をしたことで気づけたことがたくさんありました。

3年ほど前から、やりたくない事を手放し、選択と集中を進め、伝えたいことが絞れてきました。シンガポールに根付いている文化、人々、社会や日常を、自分の目線で発信していくこと。他人がどう言おうとも、自分が伝えたいことを書いていく。するとブログが読まれるようになり、思いが伝わる手ごたえを感じ始めました。

イベントでは「シンガポール生活初心者セミナー」など自分が話すイベントもあれば、「ローカルフードを食べに行こう」など参加者が交流できるイベント、そして「ローカルの会社見学」など、シンガポールの方々と繋げるイベントもあります。ローカルの方とゲストが接点を持てるコラボは楽しいですし増やしていきたいですね。

今、シンガポール公認ガイド資格をとる試験に挑戦しています。合格すれば、活動の幅がもっと広がるはず。これからやってみたいのは、シンガポールのストーリーを伝えること。例えば、古き良きものを残そうとしているシンガポールの方々にインタビューしたり。人にフォーカスしながら歴史や背景を伝える、そんな自分メディアを作っていきたいです。今は主婦をしながらの活動ですが、将来的には会社を設立して本格的にビジネスにしたいという夢を持っています。

はたママ読者へのメッセージ – 何でもいい。ひとつでいいから、何かやってみてほしい!

お仕事をしたくても、様々な事情で働けない方がいらっしゃると思いますが、今後働きたいと思っていることに繋がる、お仕事以外の選択は無数にあります。まずは何ができるのか、どんなことをやってみたいのかを知ることから。

シンガポールには様々なチャレンジができる最高の環境が整っていますし、やりたいこと、場所が何も見つからなければ、ご自身が第一人者になって始めてみてはどうでしょうか。 趣味、ボランティア、スポーツ、サークル運営、食べ歩きなどテーマを作って情報発信。それだけでも、後々ものすごい財産となり、次へ次へと繋がっていきます。

何歳になっても遅くありません。私自身、30代は出産と子育てでいっぱいの時代でしたし、今まででこの2,3年がいちばん充実しています。

どんな人にもストーリーがある。それぞれのペースで、自分のストーリーを作っていけばいいと思うのです。

シンガポール滞在をきっかけに、人生が変わった方を今までたくさん見てきました。何もしないのはもったいない。何でもいいと思うのです、何かひとつ、これをやったという事があると、次へ進む大きな力になると思います。

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今回のインタビューの場所は、めぐみさんのブログでも紹介されていた、老舗ローカルコピティアムTong Ah Eating Houseでした。ブログ記事もぜひご覧ください。

Profile

中澤 めぐみ (なかざわ めぐみ)

在星歴16年。主婦でもあり、個人事業登録をしてイベント、セミナー開催など様々な活動をライフワークとして行う。永住権。

家族構成:シンガポール人の夫、ローカル小学校4年生の娘

好きな場所、好きなもの:シンガポールの事なら何でも!(笑)

好きな言葉:夢は叶えるもの!

 

Photo by Nao Fujita

Interviewer and written by Naomi Tanno

 

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