みなさま、こんにちはーーっ!( ´ ▽ ` )ノ
シンガポールで働きながら二人の男児を育てております、ぐーたら母のりさこです(・ω・)ノ
先月の母の日は、みなさまどんな風にお過ごしでしたか?
シンガポールにお住いの方はお母様に会えず、お電話でお話しなさった方が多いのではないでしょうか。
私はというと、ちょうどその時日本に帰省してまして。
当日は夫の故郷におりましたので、義母に蘭の花をプレゼントして、記念に写真館に行って夫の両親とお兄さん家族、私たち家族で写真を撮ってきました。
普段は「写真撮られるの嫌いだから撮らないで〜」って逃げる義母も、家族全員の写真となるとちょっと嬉しそうにしてくださって。。
とってもほっこりな1日となりました。
その翌日には私の故郷の長崎へ移動したので、滞在中に実母に何かプレゼントでも・・・って思ってました♫
・・・今、気がついたけど。
えええええええ!!!
何にも買ってあげてない!!
お花すらあげてない!!!汗
我ながら今までかけらも思い出さなかったことにびっくり。笑
ごめんねー、お母さん!
そんなかわいそうな私の母。
どんな母か一言でいうと、
ぐーたら母。
私を超えたぐーたらぶり。
血は争えないってこのことです。
私はなぜぐーたらか、それはこの母から生まれたから。
そんな文句が自然と浮かびます。
(そして、夫もそんな母を知ってからは、私のぐーたらぶりが突然変異でなく、遺伝だったと納得)
「やらなくても死にはしないものは、とりあえず無視しておこう(めんどくさー)」
「しつこく言われれば、その時考えよう(まだやるとは言わない)」
って感じなんです。
言わなくてもわかる。
なぜなら私も同じこと考えているから。笑
(↑まだ20代の母と、あどけない私)
母は農家の生まれで7人姉妹の末っ子。
きっと、すごく可愛がられて、周りのことはすべて家族がやってくれる環境で育ったのだと思います。
そのまま大人になったのだから、、、面倒くさがりになったのも納得っちゃー納得。
どれくらい面倒くさがりかというと・・・。
約5年前の父の葬儀の時に「喪主ってお母さんだよね?喪主の挨拶よろしくね」って私たち兄弟が頼んだら、
「えーーーー・・・(挨拶考えるのめんどー!)あんた(弟)がしてー」
え・・・
喪主の挨拶ぐらいしろーー!笑
私たちが「お母さんからの挨拶がないとかありえないから!一言でいいから挨拶くらいして!」って言ったら、
「・・・喪主の挨拶って必要なのかなぁ?」
(誰かに「なくてもいいかもね」って言ってほしい)
60歳超えてのこの質問!!!
どんだけやりたくない!笑
最終的にはしぶしぶしてましたが。
そして、本当に一言だった。
(来てくださった方からは気落ちして言葉数が少ないと思われていたと思う)
(↑マメな父がよく連れて行ってくれた長崎ペンギン水族館。母曰く「お弁当の準備などあって本当に面倒くさかった」そう・・・)
そういうレベルなんで、例えば私は海外暮らしがオーストラリア留学も入れて10年になるけど、手紙や荷物が日本から送られたことないし。
(郵便局に行くのが面倒くさいの、痛いほどわかるんだけどね)
私が第一子を妊娠した時に、
「お母さん、私、腹帯が欲しいんだよね。できれば祈願されたものがいいけど、、(面倒くさいだろうから)買ったものそのまま送ってくれてもいいから、頼める?」
ってお願いしました。
元祖ぐーたら母もさすがに初孫の誕生が楽しみだろうから、腹帯握ってルンルン祈願に行っちゃうかもね!って淡い期待を抱いていたら、、、
「・・・(←面倒くさい時の間)あー、、腹帯?そんなのシンガポールでつけてたら、暑いでしょー」
話しのすり替えか!!!笑
「お母さんもねー、あんた(私:長女)を妊娠中は周りにうるさく言われてつけてたけど、二人目三人目はつけなかったわよー」
(私に「じゃいらない」って言ってほしい)
「でも第一子だから、念のためそういうのちゃんとしておきたいから、なんでもいいから送ってよー!」
って食い下がったら、
「今どき腹帯なんて流行らないんじゃない?」
!!!笑
どんだけーーーー!!!
流行とか知らんくせに!!笑
もう、お願いする気力なくなって「じゃ、いいや」って言ってしまったし。
完敗。
(その後、こちらから言わずとも、マメな義母がしっかりとご祈願いただいた腹帯を送ってくださいました。二人目の時も同様)
気持ちいいほど、できるだけやりたくないことはやらないで通すその姿勢。
逆にすごい。
(↑こういったお出かけも、実際は行きたくなかったのかと推測)
そんな母と結婚した父は、非常に几帳面だった上に九州男児頑固一徹オヤジだったので、年がら年中、母にブチ切れていました。
掃除は常に適当で「四角い部屋を丸く掃くな!女のくせに掃除もできんとか!」と怒鳴られ。
料理もこれまた適当で「こんなまずかもん人に出すな!吐き気のする!美味しいものを食べてもらおうっていう気がないからこんなもんができるんだ!」ってちゃぶ台ひっくり返されて。
父は暴力もすごかったんで、母はよく物を投げつけられたり殴られたりしてました。
でも、耐えてましたね。(というか、たまに応戦してた笑)
そういう根性はとってもありました。
そして、そこまで毎日怒鳴られても、変わろうとしない。 笑
ぐーたらを貫き通す母に、なんというか、たまに嫌気がさしたり、生きる強さを感じたりもしました。笑
(↑節目の行事はしっかりとしていただきました。カメラが好きでマメな父が写真をたくさん残していてくれました)
そんな私の母。
元祖ぐーたら母。
私も子供を二人持ち、母親となって、生活や子育てに関して辛い時、苦しい時、不安な時(あんまりないけど笑)、とある思いがふと頭をよぎり、そして安堵します。
その思いとは・・・。
あんな母にできたんだから、私にできないはずがないじゃん!
わっははー!( ´ ▽ ` )
心配して損したー!!
時間の無駄だったー!!!
そうなんです。
母から得た、一番大きな物は「どんなに辛い時でも、まぁなんとかなるっしょ。だーいじょーぶだー」っていう安心感です。
グータラで、掃除も料理も嫌いで、お金の管理もできないし、面倒なことはとりあえずやりたくなくて。(←ボロクソ笑)
そんな驚くほど私そのものの母が、貧乏生活の中で、夫の暴力の中で子供を3人育て上げたってことは、私にも同様にできるはずなんです!間違いなく!
貧乏すぎて昼のパートと夜の父の自営の飲食店掛け持ちで睡眠時間3時間の毎日だったり、父に回し蹴りされて腰を痛めて何年も病院に通ったり、父が作った借金の取り立てで怖い人に土足で家に上がり込まれて脅されたり、暴力暴言に耐えかねて家を飛び出て別居したのに、1o年を経てなぜか父が経営する焼き鳥屋のママになったり(これ一番びっくり!)・・・。
でも、今とっても元気で楽しそう!!
勇気もらえます!笑
お母さん、ほんとうにありがとう。
私、お母さんのおかげで(かなり)強くなりました 。
お母さんの子供でよかったって心から思います。
若くして苦労しながら育ててくれたことに本当に感謝しています。
いつまでも、元気でね!