インタビュー

どん底の駐在生活を経験したからこそ今がある
産後ママの自立を多方面から支えるセラピスト
はたママインタビュー Profile #19 三好理枝

はたママインタビュー19人目は、シンガポールで6年間の駐在帯同生活を過ごしたのち、現在は東京にてヨガ教室「Sunshine Yoga」を運営する傍ら、ミュージック・ケアのインストラクター、更には産後のマレー式ボディートリートメントセラピストとしても活動されている三好理枝さんです。

駐在前、そして駐在中は専業主婦をされていたそうですが、帰国後にヨガインストラクターとして起業され、その後現在に至るまで事業を継続・拡大し続けているパワフルな理枝さん。しかし、シンガポール駐在当初は思い出したくもないほど暗黒時代だったとのこと。

どのように駐在生活を充実させていったのか、またどんなきっかけで現在のお仕事を始められて、そしてどんな原動力で現在まで続けていらっしゃるのか、お話をお伺いしました。

辛い駐在生活の思い出、あの時があるから今がある

シンガポールには2007年から2013年まで駐在していました。当時、長女が1歳で私は専業主婦。つわりが酷くて仕事を辞めていたんです。夫の駐在が決まった時、英語は全くできないし、シンガポールには行ったこともないし、不安しかありませんでした。飛行機も子連れで乗ったことがなくて、不安で不安で仕方なかった…。

夫は月曜日から金曜日まで海外出張でアジア諸国を飛び回り、週末はお客さんのアテンドのために不在、というような生活をしていたので、私は完全にワンオペ育児。その頃は携帯電話もなかったし、Eメールはあっても日本の友達や親と頻繁に連絡を取り合う感じではなかったですね。

なので、駐在生活の最初の頃は娘とふたりきりで過ごしていた思い出しかありません。英語ができないので、本当に毎日がサバイバルでした。離乳食を何か作ってあげたくても、ラベルが読めないのでパンとバナナだけ(今考えるとひどいですね(笑))、そんな食事を食べていたと思います。今でも覚えているほど衝撃的だったのは、スーパーに行ってパンの売り場を店員さんに尋ねたときのこと。「パンはどこ?」って聞いたら、フライパン売り場に連れていかれてしまったんですよ。当時の私はパンってパンじゃないの??と大ショックでした(笑)。またある時は、夜に突然コンドミニアムの電気がつかなくなってしまったのですが、もちろん夫は不在で、どこにブレーカーがあるのか分からず、他の人に助けを求めることもできず、外の灯りを便りに授乳をしたこともありました。翌朝、扉の外を掃除していたクリーナーの方に何とか困っていることを伝え、ブレーカーの場所を教えてもらって…とっても救われたことを覚えています。

その後、やっと娘が幼稚園に入って少しゆっくりできると思った矢先、第二子の妊娠が発覚して本当にショックでした。今となっては子どもはめちゃくちゃかわいすぎますが、当時は子育てに全く自信がなくなっていたんです。1人目の妊娠中も出産も、そして産後も辛かったこともあり、シンガポールでのワンオペ育児が今度は二人になるということに不安しかありませんでした。

シンガポールでの第二子出産が人生の大きな転機に

そんな私を大きく変えることになったのがシンガポールでの出産経験でした。日本では当たり前に厳しくチェックされていた妊娠中の体重管理、また自然分娩を良しとする風潮、そして母乳神話や布おむつで育てないといけない等々の産後のしがらみが、シンガポールでは全くなくて、医療従事者の方も街で出会う方も皆さん優しくて温かくて、本当にシンガポールで出産してよかった!と思いました。

そして、産後は通いのナニーさんに来てもらって家事をお願いしたり、産後マッサージを体験したり。このことがその後の私にとって、大きな転機となりました。お掃除を週に1回、シンガポール人のおばあちゃんにお願いしていたのですが、日本にいたままだったらここにお金を使わなかったと思います。「いや、そんなもったいないでしょ」って(笑)。それよりも美味しいものでも食べたんじゃないかな?と思いますね。でも、シンガポールで出産したことで、産後にきちんと休むことが必要なんだ、自分のためにお金と時間は使うべきなんだ、と気づかされました。

産後マッサージをお願いしたHadidahさんと
産後ホヤホヤで寝不足ボロボロだったという当時の理枝さん


産後マッサージの存在は、当時英語の家庭教師をお願いしていたシンガポール人に教えてもらいました。シンガポールでは出産後に母体の体力の回復、子宮の回復のためにマッサージを受ける習慣があります。元々は、マレーシアやインドネシアの文化ですね。1週間や10日間、産後のママのためにセラピストさんが自宅にやってきて、その時間だけは子供のことも忘れて休んでいい。そんなことが許されるなんて衝撃でした。ナニーさんも、家事をお願いして来てくれているのに、産後の体調に合わせていろいろアドバイスしてくれたりもしました。こんな風に誰かが自分のことを考えてくれるなんて、ワンオペでいつも子どもと2人きり生活だった私にとって、本当に心強く励まされた存在でした。

そんな私がマレー式マッサージを習ったのは、当時同じコンドミニアムに住んでいた数少ない日本人のママ友である美代子さん(インタビュー記事:はたママインタビュー第18回)が習いたいとお誘いしてくれたからなんです。師匠から教わるにはペアになる必要があり、自分も帰国する前に習いたいと思っていたので一緒に習うことになりました。そして習ってみて初めて「私、誰かにこうしてマッサージすることが好きだった!」と以前にエステでセラピストとして働いていたことを思い出したんです。育児に没頭するあまり忘れていた過去の自分を思い出しました(笑)。

駐在中「仕事」はしていませんでしたが、キッズヨガのインストラクター資格を日本の通信教育を受けて取得し、コンドミニアムのファンクションルームでキッズヨガクラスを開催していました。そこに集まってくるママたちと「どこでお醤油買いますか~?」とか、そんな日常のなんでもないコミュニケ―ションが気軽に取れるコミュニティを作りたくて。ハロウィンパーティーをしたり、クリスマス会をやったり、知り合いだけでなく誰でもウェルカムなスタイルでやっていました。

本帰国後、自分が好きなことを仕事にし
自分らしく働くことでやりがいと幸せを感じるように

6年の駐在期間を経て日本に帰国した当初は、逆ホームシックになったり子どものことで忙しく過ごしてるうちに時間が経っていましたが、日本語でいろいろ学べることがただそれだけで楽しくて、大人向けのヨガやミュージック・ケアを習いました。ミュージック・ケアとは、音楽の特性の一部を利用して、その人がその人らしく生きるための援助をすることであり、子どもの場合はその子どもの持っている力を最大限に発揮させ、発達の援助を行うこととされています。音楽が大好きでミュージック・ケアが大好きだったこともありますが、シンガポールでキッズヨガを主催していたのと同じく、ママと赤ちゃんが安心して集える場所を作りたい!という思いから資格を取りました。

シンガポールから帰国したときは、日本にいるのは2年間だけで、その後はまた別の国に駐在予定だと言われていたんです。そのため、日本にいるうちに学べるだけ学んで、海外のどこへ行っても働けるようにしようと考えました。夫からは「近くのコンビニでアルバイトの募集してたよ。応募しない?」と真面目に言われていましたよ(笑)。2年間という期間限定だと、なかなか正社員として働くのは難しいですからね。また、ヨガやミュージック・ケアを学ぶにしても、数千円で学べるわけではありませんから、何か収入になることをしてほしいという気持ちは分かっていました。しかし、コンビニのアルバイトは今、私がやりたいことではないのだと夫にも話し、理解してもらいました。そして今こうして、自分がやりたいことを存分にやらせてもらえて、夫には感謝しています。

その後、すぐに駐在するという話はなくなり、最初にヨガ教室を立ち上げました。それからミュージック・ケアのインストラクターとしても活動を開始。都内の児童館や障がい者施設、地域のサークルなどで活動させて頂いております。そして、シンガポールで習得したマレー式産後ボディトリートメントも事業化しました。現在ヨガ教室などは様々な制約がありますが、オンライン事業を拡大したり、インスタグラムやブログなどのSNSを活用し、新規のお客様にもご参加いただいています。

日本でマレーシア人ママに産後のマレー式マッサージを!


シンガポールで生活し、出産育児を経験してなかったら、私は今この仕事に出会えていなかったと断言できます。かつて専業主婦になる以前は医療事務をやっていたので、子どもが生まれたらパートでその仕事をまた続けるんだろうと漠然と想像していたんですが、こんなに幸せなお仕事ができているなんて全く思いもよりませんでした。

私の原動力?

振り返れば、シンガポール時代、誰も聞く人が周りにいない、娘とのふたりきりの生活が辛く、また産後、何でも一人で抱えすぎてしまった自分がいました。夫にさえも、助けてほしくても助けてと言えなかった。

産後のママとお話すると、全く辛くないと言う人が多くて、おせっかいですが逆に心配になってしまいます。産後は体も心も疲弊していて当然です。実家がお近くの方など、周りに共感できる人が誰かしらいれば大丈夫だと思いますが、都市部だと孤軍奮闘している産後ママが多くいらっしゃいます。とにかく独りで抱え込まず、どんなことでもいいので出かけるきっかけづくりが大事だと、自分自身の経験から考えています。

私のように、辛い子育てを誰にもしてほしくない。その思いが強いですね。
ヨガ、マッサージ、ミュージック・ケアのどの仕事をしていても、参加している人が元気になったり楽しくなったり、そんな皆さんのお顔を見ることで私がいつもパワーをいただけています。

帰国後、日本のインターナショナルプリスクールにてキッズヨガ講師をされている理枝さん(中央)

マレー式ボディトリートメントを普及させ、
日本でも産後ケアを当たり前に

私が2014年から主に産後ママ向けに施術させていただいているマレー式ボディートリートメントですが、2021年は合計78名の方にご利用頂き、現在は二か月先まで予約でいっぱいの状態です。施術を受けてくださったのは、日本人の他、マレーシア人、スペイン人の方もいらっしゃいます。しかしながら、日本ではマレー式ボディートリートメントを始めとする「産後ケア」がまだまだ一般的ではありません。お問合せを頂く方はマレーシアやシンガポールでの駐在経験がある方、私のヨガやミュージック・ケアへ参加してくださった方というのが実際です。

「マレー式マッサージ」と聞くとどんなイメージをもたれるでしょうか?なんだか怪しそうだなと思ったりしませんか?(笑)そんなマレー式マッサージを始めとする「産後ケア」の重要性・必要性を日本で更に普及させるため、マレー式ボディートリートメントのセラピスト養成クラスを立ち上げました。子供の為、家庭の為に、母親は自分自身のことを二の次三の次にするということを良しとしてきた「産後ケア後進国」である日本。シンガポールを始めとするアジア諸国には産後ケア文化があり、メンテナンスをしっかりしているからこそ、産後の仕事復帰も数か月程で実現できるということを知りました。ひとりでも多くの人に産後ケアを知ってもらい、少しでも早く、産後はゆっくり自分のことをケアすることが当たり前という流れを日本でも生み出し、日本の産後を変えていきたいです。


Profile
三好 理枝(みよし りえ)
東京都世田谷区出身。葛飾区在住。シンガポール駐在歴は約6年(2007~2013年)。
その間に第2子を出産し、マレー式産後ボディトリートメントを始めとする産後ケアの素晴らしさに衝撃を受ける。日本へ帰国後はヨガ教室SunshineRを立ち上げ、現在に至るまでヨガ講師、ミュージック・ケアワーカー、そしてマレー式ボディトリートメントのセラピストとして活動中。

★三好理枝さんのブログはこちら
★三好理枝さんのInstagramは
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★マレー式ボディトリートメントのInstagramはこちら

家族構成:夫、娘1人(15歳)、息子1人(12歳)
好きなもの:韓国ドラマ、温泉、スイーツ
一日の過ごし方
5:30起床➡9:00レッスンまたはトリートメントへ➡16:00帰宅&家事
➡21:00デスクワーク➡23:00就寝

Interviewed and written by Moe Kawai

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