インタビュー

シンガポールでの出産、産後の経験から気がついた自分のライフワーク!「産後ケアは世界を救う」マレーシア移動後も活動中  はたママインタビュー Profile #18 有山美代子

はたママインタビュー18回目は、マレーシア クアラルンプールにて出産・産後ドゥーラ(産前産後のお母さんに寄り添い支える支援者)として活動して いらっしゃる有山美代子(ありやま みよこ)さんです。

出産、産後の経験って、人それぞれですが、母親として弱音をはいてはいけない、自分で頑張らないといけない、日本ではそんなふうに思ってしまうことが多いかもしれません。

誰にも頼れず悩んでしまう女性にこそ知っていただきたいのが「出産・産後の女性たちをサポートしたい」そんな思いをもって活動されているみよこさん。

みよこさんはマレー式産後ケアをシンガポールで学ばれた後、日本では産後ドゥーラとして活動された後、2021年4月にはマレーシア クアラルンプールに移動され活動をされています。

環境の変化を柔軟にとらえながらも、国際協力活動にも意識をむけられているみよこさんをご紹介させていただきます。

第2子育休中にシンガポールへ。第3子出産により5年の駐在帯同、育休生活を経験

シンガポールへこられたきっかけは?

2人目の育休中に、夫のシンガポール駐在が決まりました。勤めていた通信会社は、3歳まで育休が取れたので、第二子の育休中に、第三子を授かれば育休が延長できるので、そこで駐在生活をエンジョイできるかななんて思いながらシンガポールへ旅立ったんです。

予定通りといえばそうなのですが、2人目が2歳11か月のときに第三子が誕生しました。そこから3年間育休を再度取得しましたので、めいいっぱいシンガポールでの子育てを楽しんで過ごしました。もちろん仕事は復帰する予定だったので、第三子の3歳の誕生日の日に単身で飛行機に乗って帰国し、翌日から復帰をしました。

2008年シンガポール時代の幕開け(当時:長男4歳、次男2歳)

シンガポール帯同生活を育休を使って楽しまれたんですね。復帰されたとのことですが、お子さんが3人シンガポールにいる状況でどうされたんですか?

第二子、第三子の育休期間にシンガポールに来ていたので、子どもたちはそれぞれ、3歳、6歳、8歳になっています。復帰する際、夫と何度も話し合いを重ね、子どもは日本に連れていかず、義父母にシンガポールへ来てもらい、子育てをしてもらうことにしたんです。

 

まるで、私は日本へ「出稼ぎ」にいっている感じでした。平日、仕事が終わったらスカイプで子どもの宿題をみたりしながら、週末は隔週でシンガポールに移動して子どもと過ごす。そして、日曜夜便で日本に帰り、月曜日の朝、羽田のラウンジでシャワーを浴びて、化粧をして着替えて、浜松町のコインロッカーに荷物を入れて出勤する。こんな生活を3か月くらい続けました。

 

当初は、母となっても働く、ということがやりたかったのに、肝心の母業はシンガポールに置いてきてしまっているので、気がついた時には自分の心が安定しなくなっていました。さらに、シンガポールで私の代わりに子(孫)育てをやってくれている義父母についても、60代でいきなり言葉の分からない国で、3人の子どもの面倒を見ることはとても大きな変化で、体調を崩してしまったり。

母として働くことをやりたかったはずなのに、これはサスティナブルな働き方じゃないと考えるようになり、結局お休みを取ったりしながら続けたのですが、2012年9月に復帰して6ヶ月後の2013年3月末に退職しました。復職をし、沢山の学びを得ることができたことに、感謝をしています。

シンガポールで気がついたこと「産後女性は弱者。体と心のケアと仲間同士の支え合いの必要性」

退職後のシンガポール生活はどのようなものでしたか?

シンガポールに戻ってきたのですが、その時点で、夫の駐在期間は5年が経っていました。そういう意味で、いつ日本に帰ることになってもおかしくない状況でした。

ですので、シンガポールで過ごした5年間の成果として何かをもって帰りたいと思うようになりました。そんな時に頭によぎったのが、「マレーマッサージ」(ボディートリートメントと腰回りを布でしっかりと巻く(バインディング)産後の回復ケア)でした。

シンガポールで一番感動したことを振り返ってみると、それは、第三子出産後に自分自身をとても癒すことができた体験でした。もちろん多くの方のサポートがあったからですが、マレーマッサージの時間にどれだけ癒されたか。

 

日本での出産、シンガポールでの出産、両方を体験されているからこその気づきがあったんですね。具体的に出産で感じられたことを教えていただけますか?

これまでの出産を振り返ると、第一子は日本での出産になります。産後ハイというのでしょうか、初めての出産でハイテンションとなり、産後、誰かに助けてもらわないとダメという状況ではありませんでした。

それが第二子の時には心身に産後の辛さを感じました。産後のリハビリを提供するNPO法人「マドレボニータ」に出会ったことで、セルフケアで筋力をつけながら。仲間とコミュニケーションを取り、半年経ってようやく精神的に安定することができたんです。

その時に、産後のリハビリの大切さに気がつきました。産後女性は弱者だ、ということに初めて気づけた瞬間でもありました。

そして、シンガポールに駐在となったのですが、船便が到着する前日に同じコンドの日本人に会い、翌日、その方が子どもを預かってくれたのがとても助かったんです。第二子出産で、子育てはお互いに支え合うことが大切であることを痛感したからこそ、シンガポールに来て2か月後には、子育てサークル「らんぶーたん」を始めて、20人くらいで家に集まって遊ぶ活動を始めたりもしました。

 

シンガポールにこられて、2ヶ月後に子育てサークルを始められるなんて子育てママにはサポートが必要と第二子出産のときに強く感じられたからこそなんですね。シンガポールでの出産はいかがでしたか?

出産前1か月は実母、産後1か月は義父母に日本から来てもらってサポートしてもらいました。ちょうど予定日に陣痛が来て産まれたので、両方の親に合わせることができました。

実は、第三子の時に4日間入院したのですが、その後、家に帰って初めて自分の尿漏れに気づいたんです。産後直後に理学療法に3か月通って、どうにか生活ができるようになりました。産後、自分のための治療に通えたのも日中のサポートはすべて義父母にやってもらったからこそでした。その間に、先ほどお話したマレーマッサージのHadidahさんにマッサージをしてもらい、感動体験ができたのです。

第二子出産を通じて産後のリハビリの重要性には気づいたのですが、実はそのリハビリに行く前に、産後すぐに体を休めることと、心を整えるということがどんなに大切なのかということを、第三子を出産後、シンガポールでマレー式マッサージを体感したからこそ強く思いました。

学びを深めるために即行動!そして日本へ帰国して事業参入

日本やシンガポールでの出産経験があるからこそですね。日本に学びの成果として持ち帰りたくなった「マレーマッサージ」ですが、どのように学ばれたんですか?

2013年4月に、Ms.Hadidah(マレー系シンガポーリアンセラピスト)に師事し、ディプロマを取得しました。それから予想通り、夫の帰任が決まり、2013年の12月に日本に帰国しました。これを絶対に学んで、日本に帰りたいって思ったことが実現して本当によかったです。

マレーマッサージの師匠カディダさんと私

日本に帰られてからは、どのような活動をされていたんですか?

日本に帰国した時、退職した会社に戻れる権利は持っていたのですが、3人の母として日本で生きるということを考えた時に、今からの働き方は以前とは違うかなと思ったんです。シンガポールでの子育て経験から、ご近所さんにほんとにお世話になったので、日本でも地域との繋がりを強く持ちたいとも思いました。

シンガポールでの産後の経験から、第三者がお世話をしてくれたり、かけつけてくれることが、子育て中の自分にとってどんなに心の栄養になるのか、ということを教えてもらったから、日本に帰って1年後くらいに、お声がけいただいた「産後ドゥーラ養成事業」に関わることにしました。

妊娠期からご出産、産褥期からの子育て期の訪問型ドゥーラサポート(着物も好き)

 

産後ドゥーラ養成事業ってどんな事業ですか?

産後ドゥーラとは、産前産後のお母さんに寄り添い支える支援者で、女性の新しい働き方なんです。マレーシアやシンガポールのいわゆるアマさん(産褥支援者)を日本でもつくっていこうという養成事業で、私が関わった時は立ち上がってから2,3年目の頃でした。

2015年4月から協会の事務局に関わり、職員となりました。日本に「マレーマッサージ」を届けたいという思いはあったのですが、まずは組織に入って働きたかったんです。

小学6年生の3学期のキャリア教育で「ドゥーラ」を紹介、訪問サポートの様子

世界中の出産を迎える女性を支えること

聞いているだけでもすごい行動力です。それだけの行動力を突き動かしているパワーの源が何かあるのでしょうか?

自分の出産経験もありますが、国際協力NPO 2050(理事長:北谷勝秀、’17.3解散)に23歳の時に出会い社会人ボランティアとして関わったことが大きいと思います。フィリピン、ネパール、パプアニューギニア、中国で女性の自立支援を目的とした、国際協力の現場を見るスタディーツアーに参加しました。どんな国であっても、出産を迎える女性の産前産後を支えることが、こどもの、家庭の、地域の力になると感じています。

「産後ケアは世界を救う」と、本当に信じているんです。

 

世界を意識されているからこそ、日本だけでなく現在マレーシアでも活動をつづけられている原動力なんですね。

私のライフワークは、”産科フィスチュラのない世界を目指すこと”です。産科フィスチュラとは、出産時に赤ちゃんの頭が長時間産道を圧迫した結果、組織が死んでしまい、膣や膀胱、大腸などに傷が残ることで、尿や場合によっては便も垂れ流しになってしまう合併症です。母体が傷つくだけでなく、赤ちゃんをどうにか出すことができたとしても、ほぼ100%亡くなってしまうんです。産科フィスチュラについては、NPOに携わっていたので知っていましたが、自分が第一子を出産し幸せを実感したからこそ、女性の尊厳を守るために、予防可能である産科フィスチュラで苦しむ女性をなくしたいと改めて思いました。

現在、マレーシアに帯同で来ておりますが、各国の妊産婦の課題をどうやって改善していこうかという、国際協力NGOジョイセフの研修事業リモートスタッフとして関わっております。

 

どこでも、活動できるリモート時代だからこそですね。今後の展望について聞かせていただけますか?

2021年10月からは、マレーシアでもマッサージ関連の対面サービスが再開しましたので、産後ではないですが当地でのマッサージ体験も楽しみにしています。海外で妊娠期や産後をすごす女性へのサポート経験も、ドゥーラとして積んでいきたいと思っています。将来は、マレーマッサージが日本でも「産後ケア」の一つとして気軽にアクセスできるように、マレー式産後ケアの施術者の養成事業を手がけてゆけたら、と夢を抱きながら、学びを続けています。

 

2021年4月よりマレーシア・クアラルンプール在住

Profile
有山美代子(ありやま みよこ)
ドゥーラ、マレー式産後ケアセラピスト、ジョイセフILADY.リージョナルアクティビスト、人材養成事業スタッフ

大学卒業後、国際通信事業者にて14年間務める傍ら、国際協力NPO 2050 社会人ボランティア(理事長:北谷勝秀、’17.3解散)。シンガポールでは、5年半駐在中に子育てコミュニティ「子育てJunctionらんぶ~たん」を主宰し、第3子を海外出産。日本帰国後、’14.12より産科フィスチュラ映画チャリティー上映会主宰、’15.4より産後ドゥーラ養成事業に従事。’19.10 産後ドゥーラ活動開始しマレー式産後ケアの提供開始。同11月より’21年3月迄国際協力NGOジョイセフ スタッフ(UHCday)。’21.5~現在 複数の人材養成事業リモートスタッフ。21年4月よりクアラルンプール在住。

資格:産後ドゥーラ/出産ドゥーラ、マレー式産後ケアセラピスト、英検準1級
活動:国際協力NGOジョイセフ・ILADY.リージョナルアクティビスト
産科フィスチュラドキュメンタリー映画上映会主宰

Interview by Moe Kawai and Written by Katsura Ishii

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