はたママインタビュー5人目は、本サイトにて大活躍中の竹内(望月)愛子さん。
2018年4月から、本サイトの編集長として一歩を踏み出したばかりの愛子さん。会話の随所に、はたママ皆さんおなじみのユーモア溢れる「あいこ節」を散りばめながら、「お金をもらって働く」ことだけに固辞せず、自分と向き合っている「いまの思い」をお話いただきました。
何かにチャレンジしていたい自分がいつも居る。
シンガポールに来る前は上海でも駐在生活でした。きちんと仕事をしていない年数は5年になります。これまでの5年間、出産・妊娠を経験しながら、「仕事」とは「働く」とは、自問自答する時間でした。特に、駐在生活だと夫の会社の「帯同」という存在。この5年は、「働きたいけど自由に働けない」という葛藤にモヤモヤしつつ、時にこのやろーと上を向き、時にしょんぼり下を向く時間でした。
でも、自分と向き合う時間が、いろんなことを教えてくれた気もします。自分がどういう半生を送ってきたのか、今のハッピーって何だろうと。そうして見えてきたのが、新しい自分にとっての「働く」の定義だったんです。
振り返ってみれば、昔からチャレンジ精神は旺盛なほうだと思うんですよ。高校時代と、大学時代に1年ずつタイに留学したことがあって。何も分からないゼロなところから自分を試すべく、「日本人が全然居ない村で学んでみよう」と自分から飛び込んでみたんですよね。こうした留学生活が経験できたおかげで、更に自分らしくいようという思いが強くなりました。その後、日系のITコンサルティング会社を経て、会計系コンサルティング企業で、企業統治やコーポレートガバナンスのアドバイザリー業務に関わっていました。その会社での仕事は、日々刻々と変わる仕事内容だったので、それがかえって自分にしっくり来ていたんですね。達成感も有ったし、色んなハードルは有れど楽しくて。ひたすら仕事にのめり込む毎日でした。今では遠い過去の話。そうそう、日本で働いていた頃はゴルフもしていたんですよ。腕のほうはヒミツですが。(笑)「地球を掘ってゴメン!」といつもグリーンに謝っていました。結婚して4,5年経ったころ、夫の海外赴任で上海行きが決まった時、事態は一転しました。
上海へついていくかどうか、様々な思いが頭の中を駆け巡った時でした。達成感の有る楽しい仕事から離れるって、スパッと気持ちの整理が出来るものでもなくて。そんなとき、いろんな友人に会っては、夫の上海行きの話をしました。会う人みんな上海行きをポジティブに思っていて、背中を押されるような気持ちになったのを今でも鮮明に覚えていますよ。そうして、自分の中で「けり」をつけられるようになってきました。それでも仕事をすることは自分の軸となるところだったので、上海での仕事を探して、オファーを頂きました。
でも、実際に上海で暮らしはじめ、仕事を始めて半年ほどした頃でしょうか。日本で働いていた頃のように、働くことで達成感を感じて楽しいという気持ちでなくなっている自分に気付いた。脇目もふらず前進あるのみ、で頑張ってきたのに...。「これは何だろう」と自問自答。その時に、不思議と「立ち止まってみよう」という気持ちになったんです。仕事を持つことで自分の存在意義を確かめるのではなく、働かないでみようと。そして中国語を学んでみることにしました。そうしたら別世界だった。自分の知らない世界がこんなにも広くて、様々な人たちで溢れているんだと実感したんですよね。働いている時は、いかに自分の行動パターンも、交流も、視野も狭いものだったんだなぁ、って気付かされたのが、そのときです。
妊娠したのは、夫の上海赴任が終わり、シンガポール赴任が決まった頃。妊娠中はしばらく私1人で日本に滞在することにしたんです。1人暮らしなので、生活スタイルも自分の気の向くまま。ホルモンの関係か、今までの自分がどこか宇宙へ旅に出てしまい、食べ物や周りの空気、ついには電磁波まで気になるように。出産を終えてしばらくするまで、超神経質な自分が抜けなくて。今思いおこすと、あの時の自分は何だったんだろうと不思議でなりません。今では、ペヤング、コーラ、オレオが大好きなミセス・ジャンキーですけどね!(極端w)
子どもが4ヶ月のころシンガポールに移ったのですが、バリバリ働きたいと思うことに波がある自分が居るんですね。子どもがまだ小さいこともあって、子どもにがっつりと向き合うことが自分のプライオリティだと判ってはいるけれど。それから、DP(ディペンデント・ビザ=配偶者ビザ*)では働けないという夫の会社の規定が有りました。確かに、自分個人でEP(エンプロイメント・ビザ=シンガポールで主となる雇用ビザ)を取得すれば働けはするのですけど、その場合は、必ずフルタイム勤務に。子どもとの時間を考えると迷いが生まれます 。子どもとの時間を大切にしながら働きたいけど、働けない。周りはそれを自由に選択できるのに、私はできない。焦ってばかりいました。
そんな時、はたママというコミュニティーに出会うことに。きっかけは知り合ったあるママ友のおかげ。モヤモヤして気持ちがどよーんと超低飛行していた時期に、同じような境遇の方々に出会い、2016年頃からはたママのイベントに参加するようになりました。そして、積極的に運営にも関わっていくように。
こうしたつながりが出来てくることで、自分の居場所(=ボランティアでの仕事)ができるようになってきた。運営チーム内にある「むりなく、楽しく」というモットーが共感できて、「なにかこのコミュニティーでやってみよう」と。昔のイメージの「仕事」とは違った形での「仕事」を見つけることができました。はたママの活動をしていくうちに、これまでの自分の幸せと、母になった自分の幸せの尺度が、明らかに変わったと実感しています。
ただし、将来に向けて頭を鈍らせない、そう自分に言い聞かせているんです。はたママのイベントや企画記事を書いて世に発信することは、良い刺激になっていると思いますし、何よりも自分の糧。読まれた方々からの感想が本当に励みなんですよ。自分をもっと広げていきたい、と漠然と思います。ブロックに例えるなら、上に上に1つずつ積み上げていくよりも、今はあえて面として置いていきたい。上手く言葉で説明出来ないんですけれど、そんな気持ちでいます。はたママの話をしていると、家族からは楽しそうに話していると言われることも多々有って、そう言われるのは嬉しいものです。
自分を広げるためにも、はたママ・ウェブを広く世に知ってもらうべく使命感を持ってかかわりたいという思いがこの一年で膨らみつつあります。日本では、日経デュアルのような働く親のための情報サイトが有りますけれど、はたママのサイトもどんどん充実させたいという野望もあって。ウェブ編集長のつとめは任命頂いたばかりですが、周りを上手く巻き込みながら、沢山のママに参加して欲しい。母親って、色んな節目で複雑な気持ちになったり、色々天秤にかけたりしているんじゃないかと思うんですが、そういう時こそ自分が試されているんですよね。決してモヤモヤする事は無駄な経験じゃないって思いますよ。モヤモヤな気持ちは、全部自分のバネにするんです。家族にとって、母親が笑っているほうが良いに決まっていますから。最近笑っていないなぁ、という方がいらしたら、愛子(ワタシ)に会いに来てください。一緒に全てを笑いに変えていきましょう。
*シンガポールでは、EPのDP保持者が一定の規定に沿って届け出ると、フルタイム・パートタイムに関わらず(ほぼ)働くことが出来ます。
竹内(望月)愛子
2015年末に夫の赴任に伴い来星。
高校・大学時代に1年ずつタイでの留学経験あり。
大学院卒後、日系のITコンサルティング会社を経て、某会計系コンサルティング会社にて企業統治やコーポレートガバナンスのアドバイザリー業務に関わる。
結婚後、夫の海外赴任で上海に。日本で出産したのち、シンガポールへ。
夫、2歳半の娘と3人暮らし。
2018年4月から、はたママウェブ編集長に任命される。乞うご期待!
▼はたらくママ Singapore webサイト
代表記事
Photo by Risako Minami
Written by Masayo Hada